今後の教員養成・免許制度の在り方について(答申)
「指導力不足教員の8割はベテランである」という毎日新聞の記事を見つけた。それを読んでいくと、40〜50歳の教師が8割を占めるとのこと。こうなってくると自分もそのベテランの仲間入りをしていることになり、指導力不足教員という言葉も人ごとではなくなってくる。
詳しく読んでいるうちに、文部科学省のサイトにいきあたった。平成18年7月11日の中央教育審議会での答申の記事の中の「教員をめぐる現状」という所を見つけた。
多くの教員は頑張っているが、教員をめぐる状況が大きく変化しており、教員としての資質能力が改めて問い直されているという。具体的には次の6つが書かれていた。
1 社会構造の急激な変化への対応
2 学校や教員に対する期待の高まり
3 学校教育における課題の複雑・多様化と新たな研究の進展
4 教員に対する信頼の揺らぎ
5 教員の多忙化と同僚性の希薄化
6 退職者の増加に伴う量及び質の確保
その中の5の「教員の多忙化と同僚性の希薄化」の欄には次のように書かれていた。
社会の変化への対応や保護者等からの期待の高まり等を背景として、教員の中には、多くの業務を抱え、日々子どもと接しその人格形成に関わっていくという使命を果たすことに専念できずに、多忙感を抱いたり、ストレスを感じる者が少なくない。
また、教科指導や生徒指導など、教員としての本来の職務を遂行するためには、教員間の学び合いや支え合い、協働する力が重要であるが、昨今、教員の間に 学校は一つの組織体であるという認識の希薄になっていることが多かったり、学校の小規模化を背景に、学年主任等が他の教員を指導する機能が低下するなど、 学びの共同体としての学校の機能(同僚性)が十分発揮されていないという指摘もある。
確かに教師が忙しくなってきていること、同僚性が希薄化していることは、私自身も感じている。それは密接な関係があると考えている。
教師の仕事はまず授業、子どもたちにどれだけ教えることができるかにある。そして、そのための授業の準備と、その授業の中でどれだけ理解させる(理解する)ことができたかを知る評価をしなければならない。評価というと、教師が子どもたちの理解度をはかるように聞こえるがそうではない。子どもたちのノートや反応を見て、授業内容が理解できていないようであれば、授業の展開を改めて考え直さなければならない。1時間の授業があれば1時間の評価の時間が欲しいのである。
「教科指導」の他にも「給食指導」、「掃除指導」があり、1日のほとんどが「〜指導」で終わってしまう。
その上、学校行事(体育祭や文化祭など)を始めとし、それを話し合う会議、全体で話し合った後、学年での会議をしなければならないことも多々ある。そして、生徒指導や部活動の指導のため休日がなくなるという問題もある。また、不審者への対応など、昔では考えられなかった仕事をしなければならなくなった。
最近、「少子化問題」として1つの学校の生徒の数が減ってきている。そしてそれに呼応して、1つの学校における教師の数も減ってきているのである。教師の数は減っても仕事の量は減らない。逆に前述の通り、増えているのである。つまり、教員数が減るが、一人がしなければならない仕事は増える結果になる。
文科省の報告では、「2 学校や教員に対する期待の高まり」のところで、本来家庭や地域社会が果たすべき機能を学校に持ち込むことはやむ得ないとしている。
それでなくても多忙化する教師の仕事。それをしっかりとこなそうとすればするほど、自分の仕事に追われその結果、教師と教師間の希薄化が進んでいくのは必然的のような気がする。そして、それは今度は教師と子どもの間の希薄化に拍車がかかっていくのは当たり前なのである。
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